“ 「敵」を見つめすぎると、「敵」に似てくる‥‥。
そんなことも言われています。
ぼくが、ほんの少々ですが、元気でいられる理由は、
あんまり人を見つめてないからかもしれません。
うまく言えないんだけど、そう気をつけているみたい。
視線を、やっぱり「光の射してくる方向」に向ける。
できるだけ、そうしようと思っているせいだと思います。”
“ じぶんの嫌いな人の考えることは、
じぶんのなかに、「少しある」んですよね。
ぼくも人間なので、それなりに苦手や嫌いがあります。
その人と、ぼくは、まったく似てないのではなく、
おそらくどこかが「似てる」んです。”
“ 「新しい」のマジックにかかっているときには、
「新しい」はもう、万能の「価値」で「勝ち」なのです。
「新しい」は、「新しいねぇ」と認められたときから、
しだいに「新しくない」に変化していきます。
「新しくない」は、無価値であることを意味しませんが、
「新しい」にくらべると、ずいぶん「負け」に見えます。
もう、この「新しい」の幻影から、
自由になっていいころじゃないかなぁと思うのです。
いや、「新しい」の弁護側からも言いましょう。
「新しい」の価値は、「新しい」ことにあります。
それはしっかり認めましょう。
でも、それ以外は、「新しい」とは関係ないです。”
“ ぼくの手帳の「3月11日」に、なにが書いてありますか?
そういう質問をされて、困ってしまいました。
正直に言うと、
じぶんの手帳にじぶんのために記すことばは、
そのときには書けなかったのでした。
「ほぼ日」という「この場」で、なにを言うのか、
この先なにを考えるのか、それだけで精一杯で、
お恥ずかしいけれど、ぼくの手帳は空っぽでした。
ほんとは、そういう日のためにも「ほぼ日手帳」と、
言いたかったのですが、実際には無理でした‥‥。
来年の「3月11日」には、なにが書けるんでしょうね。”
“「明日死ぬかのように生きなさい。
永遠に生きるかのように学びなさい」
マハトマ・ガンジーが言ったというのだけれど、
なるほどなぁと思わせる力がある。
世は、なにかと「ツッコミ」の時代だから、
「どっちなんだよ!」という反応も多いだろうが、
「どっちだかわからない」のだから、言っているのだ。永遠に生きるつもりで学んでいる人が、
”
明日死んじゃうこともあるということでもある。
「できることを、しっかりやりなさい」
と意訳したら、あんまりおもしろくなくなる。
「どっちなんだよ!」と、
矛盾を指摘されそうなところが、魅力なのだ。
“ 「過ぎる」ことは、いま、あんまり魅力的じゃなくて、
寸法がちょうど合ってる、というのがいいなぁ、と。
「できる」ことを、確実に「できる」と言って、
なんとか「できた」にする。
時代も、ぼくらも、そういう時期だと思っています。”
“ 統計としては知りませんが、直観的にですけれど、
世の中に「ご結婚」と「ご懐妊」が増えてませんか?
「恋愛と幸福について」、こういうときだからこそ、
真剣に取り組むべき課題として、
人々のこころに浮上してきたということなのか。
そのテーマについて、雑に雑談をしたりするのも、
こういうときだからこそ、新鮮なのではないでしょうか。”
“ 『監督失格』という少々変わった映画の試写にも、
昨夜行ってきました。
音楽を担当した矢野顕子さんのご案内でした。
ぼくの列の隣りが松尾スズキさんだったり、
反対側の隣り方向には三谷幸喜さんがいたり、
すぐ後ろには、満島ひかりさんがいたりで、
ずいぶん注目されている映画だったようです”
“ このごろ思うのは、仔犬のときから、ずっと、
犬はまじめだったなぁ、ということです。
犬がふざけたことは、おそらく、一度もありません。
いえ、犬も、よく遊ぶんですよ。
わざと遠回りして、隠れんぼしながら
ボールをくわえて戻ってきたり、
なにかの玩具をひっぱりっこしたりして、遊びます。
でも、ずっとまじめというか、「一心」なんですよね。
いいとか、わるいとかじゃなくて、
この人、っていうか、犬、生まれてから死ぬまで、
ずっと「一心」なんだよなぁと思うと、
ああ、そのことわかってやらなきゃなぁ、と、
あらためて思うのです。”